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2008年 6月度 大石幸紀 講演レポート
1.中小企業診断士取得のきっかけ
中小企業診断士取得の動機は、同期社員の中で一番出世したいという出世願望そのものでした。同期の経理担当者に嫉妬するくらい優秀な奴がいたので、仕事だけでは彼に勝てないという現実が分かっていたのでしょう。周囲に診断士取得を宣言してからは、挫折したと思われたくないというプライドの固まりで勉強を続けました。勉強を続ける内に、この苦労をなんとか形にしないと、今まで勉強に費やした時間は一体何だったのだ、という思いが強くなり、合格に対する執念が高まりました。その結果、1年目で1次試験合格、2次試験不合格、2年目に2次試験合格と、2年間で中小企業診断士になることが出来ました。2002年4月の事です。
2.上場企業を辞めるまでの苦悩
私がある上場企業に入社した頃、経理担当者は全国に所在する全ての営業所に配属されていました。各営業所では経理担当者は入社年度に拘わらず、営業部長や営業所長の右腕として番頭さんのようなことを任されました。日々営業マンからの商法、税法、社内ルールに関する相談を受け、知識と経験から回答するという一種のコンサルタントの様なことを、どの経理担当者も行っていました。私もその企業の経理担当者の一員として、誇りを持って取り組んでいました。当時の私は相当生意気だったと思います。
ところが、入社5年ほどしてから、間接部門の合理化を目的に、経理担当者を東京と大阪の二個所に集結させ、社内郵便や電子メール、電子承認システムを使って全国営業所からの経理伝票を1個所に集めることで、まとめて複数の営業所の決算業務を行うという、シェアードサービスを導入するようになります。私の居場所も、営業担当者と同じフロアから、経理担当者だけを集めたフロアにと異動になります。以前は、営業所の中では若手の男性経理マンは一人だったのが、大勢の経理マンが集まったフロアの中で、大勢の内の一人になってしまい、なにか存在感の喪失のようなものを感じざるをえませんでした。私は、港区の本社ビルで高崎や新潟の営業所を担当するようになります。新幹線で月に1度か2度訪問する自分を、営業所の皆さんは本社からのお客さん、というように丁寧に扱ってくださいました。自分にはそれが寂しく感じられたのを覚えています。
さらには、自分はポストバブル期の入社だったのですが、バブル期の大量入社組の先輩が大勢いらっしゃいましたので、この方々が全員役職者になるまで自分はずっと下端として今と同じ仕事をする(この考えは、単なる妄想でしたが)、そう思うと当時は閉塞感を感じずにはいられませんでした。
そんな会社の変化の一方で、自分は中小企業診断士を取得したことで、独立開業して活躍している診断士の方々とお付き合いさせていただくことで、中小企業診断士として生きることにあこがれを感じ始めていました。かといって、自分に独立中小企業診断士として食っていけるだけの能力があるとは思えません。まぶしく見える世界と、捨てられない現実の狭間で、約2年間独立するか否かを悩み続けます。今思えば不思議なのですが、転職という選択肢は自分の中にはありませんでした。
3.独立開業研究会が背中を押した
中小企業診断士になって、いくつかの研究会に参加します。取得当時は好奇心の塊で、様々な研究会に顔を出します。この独立開業研究会にも参加し始めます。たくさんの研究会に最初は所属し、参加していて自分の興味ある分野ではないと思うと足が遠のきます。こうして自分の居心地の良い研究会が残りました。
この独立開業研究会は、前半が活躍されている独立中小企業診断士の先生をお招きしての講演会、後半は講師の方を囲んでの懇親会で構成されているのですが、前半の講演はとても勉強になりましたが、それ以上に後半の飲み会を楽しみにしていました。なぜなら、自分よりも2,3年前または同期や後輩の診断士取得者で独立された方が、現在どのような仕事をされているのか、どれくらい稼いでいるのかを、二人きりになったときにずうずうしくも教え頂いていたからです。当時、中小企業診断士は食えない資格なんていうことが、まことしやかに語られていました。この噂によって、自分は独立に踏み切ることが出来ないと言っても過言ではありませんでした。しかし、そのような噂は少なくとも独立開業研究会に参加していた中小企業診断士には当てはまりませんでした。皆さん、それぞれの分野で会社員の時の稼ぎを超える年収を、独立3年間までに獲得されていることを知ったのは、自分にとって大きな勇気となりました。
4.最終的に独立に至った要因
独立開業研究会の皆さんとの触れ合いを経て、ついに会社に中小企業診断士として独立する旨を伝えます。本当は2003年の12月中に、上司に退職を告げる予定だったのですが言い出せず、結局年明けの2004年早々に伝えることになります。課長は、私の上司になってたまたま3ヶ月目の方で、巡り合わせが悪かったです。申し訳ないことをしました。
最終的に独立に至った要因は次の通りでした。
・妻の許可は早い段階でもらっていた。反対は一切無し。子供がいないこと、妻も働いていたことも大きな要因です。
・独立開業研究会で食えている同世代の独立中小企業診断士に触れあっていた。
・32歳で独立して失敗しても、35歳までなら再就職できるのではないか、という勝手な期待があった。
・上場企業を去って失うもの(将来の地位と年収、退職金など)は、今後も保証されているとは思えないと自分を納得できた。
・最後の決め手は、悩んでいる自分に終止符を打って楽になりたかったのも事実です。悩みすぎて今振り返ればノイローゼ寸前だったように思います。
5.独立1年目 (平成16年4月~17年3月)
2004年4月16日に自分の独立生活はスタートします。当時の自分を表すキーワードは「びびり」でした。「この仕事に失敗したら、自分が独立したこと自体も失敗してしまう。」今となっては、そんなことはない、この仕事がダメなら、また別があるさ、位に笑いとばせますが、当時は全ての仕事が初めての体験で、そんな風にびびりながら仕事をしていました。仕事のご依頼をいただくと、嬉しいはずなのに、本当にできるのだろうかと不安さの方が大きかったように思います。お礼を伝える笑顔は、当時は引きつっていたと思います。このような、自分に、この独立開業研究での辻井啓作さんの教えはとても役に立ちました。それは、「即座に無理と答えた依頼以外は、全て受けろ。人間は絶対無理なことは即座に無理と答える。一瞬でも、できるかなと迷ったということは、できるのだ。だから、受けろ。」という教えでした。この教えによって、私はびびりながらも依頼を受けた仕事は、ほぼ100%お引き受けしました。 今、自分が仕事を人にお願いするようになって、この言葉が信実であったことが良く分かります。それは、仕事を発注する側も、その人ならできると思って声を掛けていると言うことです。その仕事の経験のある先輩が、こいつならできるだろうと判断して依頼をされているのですから、最初から絶対に無理という依頼は実際にも少ないのです。ちなみに、全ての仕事をお引き受けして、全てを完璧にこなしていたか、といいますとそんなことはありません。調査の仕事で、どうしても納期に間に合わなかったことがありました。その時は発注者の方が、他の方に声を掛けて最後には助けてくれました。もちろん、その方にお支払いするフィーを捻出するために、私のフィーは大きく減額されたのですが、もちろんそれは自分が悪いのですから納得の上です。なによりも、助けてくださったことに対する感謝の念のほうが大きかったです。
独立当時、自分の生活を支えてくれていたのが、自分が中小企業診断士に合格させていただいたTBC受験研究会さんでした。社長の山口さんからは、私が前の会社に在席している時から、講師としてTBCで教鞭を執らせていただくことを約束いただいていました。また、TBC受験研究会では、講師以外に通信講座の企画と運営も請け負います。週の平日の内、2日通って通信講座の運営をしていました。TBC受験研究会さんのお陰で、自分の中小企業診断士としてのスタートは金銭的な不安がない安定したものでした。
TBC受験研究会さん以外での中小企業診断士としての活動としては、現在も事務局長を務めるNPO 経済活動支援チームに参加し、沖縄の食品工場事業計画作成等に従事させていただきました。当時の代表理事の山北浩史さんや現代表理事の高橋順一さん、大寺規夫さんというスーパーマンのような人の側で仕事をさせていただく機会に恵まれ、自分の実力なさを嘆くと共に、中小企業診断士の仕事のやり方を吸収させていただきました。
その他には、独立開業研究会の設立者である辻井啓作さんが社長を務めるリサーチ会社、ともえ産業情報さんが受注された調査業務の下請けを、数多くさせていただきました。調査業務を進める上でのアポイントの取り方、文章の書き方や、ヒアリング調査の仕方等をハンズオンで辻井啓作さんに指導いただきました。独立して半年ほど経ったときに私が感じていたときは、世の中捨てたものではない。世の人は自分の想像以上に親切である、ということでした。そのこと知って以来、自分自身も他人に親切にしてあげられるようになった気がします。
6.独立2年目(平成17年4月~18年3月)
2年目になり、ある先輩中小企業診断士との出会いが、自分の中にできつつあった独立事業者としての方向性を変えました。当時の自分は、セミナー講師や昇進試験の問題の作成、人事評価のためのアセスメントなど「社会人教育産業への従事」に事業ドメインが傾いていた時期でした。しかし、この先輩診断士の影響から、やはり中小企業診断士として独立したのだから、中小企業診断士に求められている社会的な意義に立ち返り、中小企業を対象としたコンサルティングで生計を立てられるように道を切り開くべきだ、という結論に至ります。
しかし、そう思うものの、どうすればコンサルティングスキルを身につけることができるのかは分かりませんでした。俺に付いてこいばりの人に付いていって「報酬は、俺の評価で決める」という条件で2ヶ月間働き、その結果「評価は0。従って報酬も0」という宣告を受ける経験もしました。この方からの仕事を継続してお手伝いすることを期待して、TBC受験研究会の契約を終了させていただいていましたので、精神的ショックとその後の不安感は大きかったことを今でも覚えています。
そのような状況下で自分が幸運だったことは、事業再生を30年以上担当され、その90%以上を復活させた税理士でコンサルタントの森井義之先生と出会ったことでした。森井先生のセミナーに参加させていただき、先生が構築されたPBM理論を学び、また先生が手がけられた事業再生のお手伝いもさせていただく機会に恵まれました。PBM経営理論が自分の中で少しずつ消化されるにつれて、「経営の王道」の様なものが見えてきました。
幸い、TBC受験研究会以外からのお仕事も、いつの間にか頂けるようになっていましたので仕事が無くなるのではという不安は杞憂となりました。
7.独立3年目(平成18年4月~19年3月)
森井義之先生に師事してから、PBM経営理論に基づくコンサルティングのスキームが身に付いてきました。そこで、自分から積極的に支援先を探すように動き出しました。その活動として最初に行ったのは、東京都を始めとする都道府県政令都市の中小企業支援センターの専門家登録をしたことです。ある自治体では、5年以上の専門家としての経験が必要ということでしたが、ダメ元で相談してみたら、会社員時代の代理店及び子会社の経営助成の実績を通算していただき、登録させていただきました。
また、この頃国や県の中小企業支援助成金を獲得することを条件としたコンサルティングの営業活動を始めました。
(1)知り合いになった中小企業の経営者を対象に、御社でも取れる可能性のある助成金は、これですというような、無料の勉強会を実施する。
(2)中小企業経営者が関心を示せば、各中小企業支援センターの専門家派遣制度で、自分を指名してもらって、スキーム作りや受かりやすい申請書について助言を行う。
(3)申請書の中には、経費の予算として中小企業診断士である私から支援を受けるフィーを計上しておいてもらい、助成金獲得に成功したら、その予算を使って助成事業の目的遂行のためのコンサルティングを、半年から1年間のスパンでさせてもらう。
という、中小企業診断士ならではの助成金や専門家派遣制度を活用したコンサルティングをその年の春先からやり始めました。助成金の獲得率はその年で66%でした。
また、助成金取得を条件としない継続的な支援先ができたのは、その年の後半でした。現在(2008年6月現在)継続してコンサルティングをしている会社さん4社のうち、2社はこの時期から契約がスタートしています。
1社は、さいたま市の専門家派遣制度がきっかけでした。派遣されていって、その時に5ヵ年計画を作成したのですが、派遣期間中の支援で私を認めてくださったようで社長から「計画作って終わりかい?この計画を実現するところまで責任もって支援してくれよ、大石さん」というありがたいお言葉をいただいて、現在も継続して支援させていただいています。
もう1社は、後ほど紹介する自分の応援者の中の、お一人の紹介でした。事業承継で社長が交代するので、新社長の経営をサポートしてほしいというものです。ここでも、お試し期間としてある自治体の専門家派遣制度によって指名していただき、専門家派遣としての支援を行い、派遣終了後に民間対民間で支援を継続するかどうかを判断いただきました。その結果、現在も継続した支援をさせていただいております。
8.独立4年目(平成19年4月~20年3月)
ブログを通して私のことを応援してくださる方の存在が、感じられるようになったのがこの時期です。企業内の中小企業診断士や、中小企業診断士に理解がある方から、仕事を発注いただくようになりました。民間コンサルティング会社や調査会社、研修会社の社員さん、商工会・商工会議所の職員さん、中小企業支援センターの職員さん、財団・社団法人の職員さん、などの皆様が、ご自分の裁量で発注先を決められる場合には、私に声を掛けてくれるようになりました。見返りを求めていなかったブログが、自分を支えてくれている存在になっていたことに正直感激しました。
大きな市場調査の業務を請け負い、後輩診断士5名の方に下請けしていただいて遂行したのもこの時期でした。元請けになってクライアントからの要望を、実際に業務遂行してくれる後輩に伝え、上がってきた成果をチェック、修正するという業務がどれほどたいへんなことなのか経験しました今で私を下請けとして使ってくださっていた先輩方は、こんな思いをして仕事を完成させていたのか、という気づきを得ました。
9.独立5年目(平成20年4月~
平成19年10月の独立開業研究会の講師として、中小企業診断士 エキスパート・リンク(株)代表 藤田隆久さんにお話しいただきました。自分は、一参加者としてお話を伺い、大きな衝撃を受けました。私と年が変わらない中小企業診断士が、これほど大きくビジネスを展開していることに驚きと同時に尊敬の念を持ったのでした。自分は、携帯電話に取り付けたUSBメモリに自分の経歴書を記録させているのですが、講演終了後、懇親会が始まるまでの合間に、近くのキンコーズに駆けて行き、経歴書を印刷して懇親会のその場で藤田さんに渡しました。自分は、こういう人間で、また、こういうスキルとバックボーンを持っていて、今までこういう仕事をしてきた。こういうブログもやっているので是非見ていただけませんか。また、このような自分に藤田さんをお手伝いできるような仕事があるでしょうか。あれば、自分を使ってくれませんか、とお願いをしたのです。
その結果、そのお願いから半年が経過した今、私は自分の大幸経営有限会社を経営する傍ら、藤田さんが経営するエキスパート・リンクのパートナーコンサルタントとして、藤田さんや同じくパートナーコンサルタントの方と3人でチームを組んで、某中小企業のコンサルティングを行っています。また、藤田さんと一緒に、関東学院大学の非常勤講師として学生さんにベンチャー企業論を教えています。間違いなく藤田さんとの出会いが、私の世界を広げてくれたのでした。
10.終わりに~この道をえらんで~
最後になりますが、自分は今、コンサルティングのための訪問や講演終了後、家への帰り道、常になんとも言えない、充実感、達成感を感じています。マズローの欲求5段階説ではありませんが、この仕事をしてから自己実現の欲求が満たされるとは、どのようなことかを知った気がします。迷いに迷って捨てた上場企業経理マンの道でしたが、今はこの仕事を選んで本当に良かったと思っています。
